あれから20年

 日航機遺体収容―123便、事故処理の真相

 今、この本を読んでいます。
 この事故があったときは、確か私は小学6年生だったと思います。物心ついたときから父が病気で、夏休みといえども家族旅行なんてことが出来ない家庭に育ったのですが、やはり子供のときは、海や山に行って真っ黒に日焼けして土産話を語る同級生たちが羨ましく妬ましかったです。また、近所の同級生がイジワルなやつで、私がそういうところに行けないという事情を知って、わざと自慢話をしてきていたものです。今だったらぶっ飛ばす。
 母もそれは分かっていて、不憫に思って、父の姉・つまり私の伯母に、夏休みに1週間ほど私を預かってくれないか、という交渉をしてくれて、小学生のころはそれが恒例になっていました。私は伯母にももちろん子供がいましたが、既に大学生になったり社会人になって結婚していたりしていたため、まぁ私を預かって遊び相手をするだけの余裕があったわけです。今思うと、私が東京に行くと、イトコたちがマメに遊びに連れ出してくれて、あまり関係のないイトコのダンナや彼氏(後にダンナに昇格)まで巻き込んでしまいました。ありがとう、ってここで書いても読んでないけど。
 この日航機墜落事故が起こったとき、私はちょうど伯母の家に遊びに行っている時でした。茶の間に行ったら、伯母やイトコが興奮した口調で
「群馬だよ!」
と私に教えてくれました。徐々に、飛行機が墜落してすごいことになっていることが、子供ながらに理解できて、それにしても上野村ってどこだろう?なんてレベルでしたが・・・。
 本のタイトルの通り、事故についてというよりは、その遺体をどのようにして収容して、身元を確認していったのか、ということをメインに書かれています。著者の方は当時群馬県警にいた責任者ということで、事故について別の著書があるようなので、そちらも読みたいと思っています。
 また、8月がやってくる。たしか、墜落現場(に近いところかな)に慰霊碑が建てられて、毎年法要が行われていて、それは毎年報道されていることでもあるんですが、遺族の中には高齢で山に登れなくなっているなんて事情もあるようです。足腰にはきついけど、でも身内が不慮の事故で奪われた現場だもの、毎年行きたいよなぁ・・・。