通夜

 通夜に行ってきました。小学生のときにお世話になった近所のおばあちゃんが亡くなったのです。親戚でもなんでもない近所のおばあちゃんに、なぜそんなにお世話になったかというと…。
 この日記を以前から読んでくださっている方はご存知でしょうが、私は小さいころから犬好き・猫好きでした。ただ、私が幼稚園児のころに飼っていた犬が死んでしまってからは、なぜか我が家では猫を続けて飼っていました。自ら飼っていたというより、近所の猫がいつの間にか住みついてしまっていたのです。
 猫も大好きだけれど、その性質上、私が遊びたいときに来てくれるというものではないし、むしろしつこく構われるのが嫌いなので、そういうところはツマラン、と思っていました。犬も飼いたいけれど、両親は猫がいる間は犬は飼わないというし。動物が好きだけれども、大人の事情もあって、積極的に動物を増やそうという考えではなかったようです。ちなみに、当時は鶏も飼っていました。た、食べたりはしてませんよー、念のため。
 さて、私は自転車が補助輪なしで乗れるようになるのが遅かった。小学3年生くらいで、やっと乗れるようになったのです。どこかから貰ったお古の自転車で、毎週日曜日の朝、朝食前に近所をグルグルと乗り回すのがマイブームでした。今思うと、なぜあんなことが楽しかったのか、不思議でありますが。そして、ある日曜日もいつもと同じように自転車を乗り回して、家に帰ろうと細い路地に入ったときに、なにやら声が聞こえてきました。ヨシとかマテとか…。声のする方を何気に覗くと、犬が二匹見えました。それまで、柴とか雑種の犬とかプードルくらいしか見たこと無かった私が初めて見る、大型犬。それはイングリッシュ・ポインターという猟犬でした。初めて見たときはそれも分からず、ただ珍しい姿に見とれていました。どうやらその家の人が、二匹の犬に交互におやつをあげているらしい。しばし犬の姿を見つめつつも、その日は家に帰りました。
 それ以降、ことあるごとにその家の前に行っては犬の姿を探すように。犬はよく庭に放されていて、やがて私の存在に気づいて寄ってくるようになりました。この二匹の犬は両方ともメス犬で、母と娘だったのですが、娘犬のほうは本来はあまりよその人になつかない性格だったようです。が、偶然母犬のほうが私に先になついたので、娘犬もなついてくれたようです。
 その犬の飼い主であるKさんのおばあちゃんが、犬が塀に向かって尻尾を振っているので不審に思って見にきました。実は、犬小屋も塀沿いに設置してあったのですが、通りすがりに毒エサを放り込まれるというイタズラをされたことがあり、幸いにして犬は食べなかったのですが、ちょっと警戒していたのです。そんな事情から、また犬に何かが、と思ったおばあちゃんが、私を見つけました。不審者だけど、どう見ても子供で、しかも男の子(当時はよく間違われてました。今と違って棒のようにやせてたし、髪の毛も短かったので)。興味が湧いて、私を招き入れることにしたようです。
 私にどこの子?とか、どうしてそこに居たの?と聞き出して、私がすぐ近くの住人であることや、犬が好きで、偶然見かけた珍しい犬に夢中になっていることを知り、またいつでも遊びにおいで、と言ってくれました。これが運のつき。私は真に受けて、本当に犬と遊ぶために毎日のように通ったのです。子供には社交辞令は通用しないのだ。
 私の両親は事情を知ると、私に犬通いはやめろと強く言いましたが、でも犬はいつでも尻尾を振ってくれるし、猟犬として躾けられているから言うことをよく聞き分けて賢いし、楽しくてやめられませんでした。
 さて、Kさんちの大黒柱であるおじちゃんは、息子が二人いるけれど女の子は珍しく、しかも私があまりお淑やかな部類ではないことを気に入ってくれて、よく面倒みてくれました。
 やがて私も中学生になると、そうそうKさんの家に遊びに行けなくなり、最近はほとんど没交渉になっていました。
 その間に、働き盛りの年齢でおじちゃんが癌で亡くなったり、二匹の犬たちも死んでしまったり、おじちゃんの息子が二人とも結婚したり…。そしてついに、おばあちゃんが亡くなったという知らせが届きました。91歳という年齢に、時の流れを感じます。
 最後に言葉を交わしたのはもう数年前。偶然通りかかったボクサーという犬に声をかけて遊んでいた私を見たおばあちゃんが、
「たじんこちゃんも、犬ばかりじゃなくて人間にも興味を持たないとね。」
と言われました。要するに、犬ばかりじゃなくて男にも興味を持って彼氏を作れってことだったのでしょうか。いやいや、犬だけに心を開いているわけではないのよ、おばあちゃん。でも、彼氏が出来ても
「俺と花梨とどっちが好き。」
「花梨に決まってるだろ、バカ。」
ってことになりそうで、おばあちゃんゴメンって心の中で謝ってきました。