複雑な気持ち

 子供のときは、何の疑問もなく、大人になったら好きな人と結婚して子供を産むんだ、と思っていました。だって、自分の親をはじめ、大人は大抵結婚して子供を産んでいたから、そう思い込んでいたのであって、成長するにつれ、結婚・出産している人ばかりじゃないことも分かってきて、どっちの人生も良いんじゃないかと、思うようになりました。
 あれはたしか、私が高校生だったか、あるいは大学生になっていたか…、不妊症に悩む女性が、病院から子供を盗むという事件がありました。そのとき、なぜか私は強い衝撃を受けたのでした。人の子供を盗んでまで、欲しいと思う強い気持ち。犯罪は許されるものではないけれど、あの女性はどうしてそこまで追い詰められてしまったのか。不妊症というもの、その原因は様々であることを知り、私はいつでも子供を産めるつもりでいたけれど、実はそうじゃない可能性もあるということを、初めて知ったのでした。
 一方で、私は、どうしても結婚したい・どうしても子供を産みたい、という気持ちが世間一般の女性に比べて希薄なようで、お見合いみたいなこともしてみたけれど、どうも上手く行かないのでした。お相手の人に、やる気が感じられないっていうようなことをハッキリ言われたこともあります。その通り。今思うと、お相手さんに失礼だったよなぁ…って思います。が、やる気を出したいような相手でもなかったですけど。(余計に失礼だな)
 最後のお見合いの後、自分としてはどうしたいのか考えて・考えて・考えて、無理をするのは止めようと決めたのでした。
 今朝、新聞をめくったら、体外受精した受精卵を取り違えてしまったという記事があって、とても悲しい気持ちになりました。せっかく体外受精に成功したと思ったら、実はよその夫婦の受精卵のようだと言われ、中絶に至ったということでした。
 おかしなことに、私は30歳をいくつか過ぎたときから、
「ああ、このままだと、私は結婚せず、子供を産むこともないんだなぁ。」
と思うようになり、別にそれに強い不満や焦りは無いんだけれども、でも自分の子供を持ってみてもいい、という気持ちになることもあるのでした。だからと言って、絶対に産みたいという強い気持ちでもなく…、うーん、上手に表現できないけれども。20代前半は、むしろ子供なんて産みたくないくらいに考えていたことからすると、かなりの変化だなぁ、と自分では思うのです。年齢的には、もっと早くそういう気持ちになっていたら、もっと積極的に、今で言う『婚活』をしていたのかも。
 怒られそうな表現ですが、もっと若いときは、治療を受けてまで子供を欲しいと思う人々の気持ちが皆目分からなかった。ですが、今、本当に少しだけ、すこーしだけ、分かる…ような気がしてきています。
 それにしても、だ。取り違えた医師は、何を考えてんだ。絶対にあってはならない間違いじゃないか。