ペットにまつわるエトセトラ

 最近は、ペットと呼ばずに、コンパニオン・アニマルって言うんですかね。でもたしかに、花梨には精神的な部分でとても助けられていると思うことがあって、いわば心の支えなので、確かにコンパニオンです。
 花梨は今、満13歳。来年2月になったら14歳です。人に言うと、
「おお、長生きだねぇ。」
と感心されるようになりました。うんにゃ、まだまだ。花梨には、20年でも30年でも長生きしてもらいます。
 ただ、寝たきりで20年なんてのも可哀想だしねぇ。考えたくないけれど、生きている限りは死ぬときがやってくるわけで、飼い主としては、とにかく花梨が苦しまずにラクにその瞬間を迎えられるように祈るばかりです。でも、その瞬間が来るのは、10年後とか20年後で、ちっとも構わないんだけど。
 獣医さんに、
「特に理由はないけど、20歳くらいまでは頑張って欲しいんですよね。」
と言ったら、
「うーん、この犬に限らず、犬で20歳っていうのはね、結構大変なことなんですよ。」
って、暗に
「そこまでは無理なんじゃねーの。」
的な返事でしたけどね、いやいや、飼い主としては引き下がれませんよ。
 今日、散歩していたら、花梨の元の飼い主のMさんに行き会いました。花梨の親犬はどちらも既に亡くなってまして、今は別のビーグルを飼っていらっしゃる。ということは、花梨より2・3年は若いはずなんだけど、散歩中の足取りは花梨より全然遅いです。むしろ、Mさんは、花梨の元気溢れる様子に、ビックリしていました。
 花梨が元気ハツラツ!ドリンク剤のCMに出られるのは、朝の散歩のときだけで、あとは殆ど寝てばっかりです。土日は、たまに私に
「かわいいのぅー。プニッ。」
と抱きつかれ、それを見た母が
「何やってんの!寝かせてあげなさい!」
って怒り、安眠妨害されるくらいで、平日は私も次兄もいないので、こころゆくまで惰眠をむさぼっております。
 今も、白目むいて爆睡中。布団を干してもらって、ホコホコして気持ちいいみたいですよ。
 さて、10年の生涯を閉じた愛犬を偲び、喪に服していた知人。一年以上経って、そろそろまた犬が飼いたいなって言い始めまして。前に飼ってたのは大型犬(ゴールデンレトリーバー)だけど、犬種は特に問わないんだ・何だったら、捨てられた子犬を保護したっていい、と言っていたので、不幸な生活から助け出された犬もたくさんいるから、そういう犬も選択肢に入れてみたらどうかな、と言っておいたのですが。なぜか猫を飼うことになったようです。迷い猫を保護したのがキッカケ。最初は、犬を飼うつもりだったので、保護した猫は里親を見つけるつもりだったようですが、結局猫を保護するということは、エサやらトイレやらそろえるということであり、なし崩し的に飼うことに。もちろん、私は猫を保護した話を聞いたときに、
「飼っちゃえ。飼ってしまえーい。」
と悪魔の囁きを、ちょっと。今、かかりつけの獣医さんをどうしようか、迷っているみたいです。
 軽井沢で2回ほどお世話になったペンションには、やはり犬がいて、先日急に思い出して、
「あのワンコ、どうしているかな。」
と久しぶりでHPのダイアリーを見たら、8月末に天寿を全うしていました。こういうの、虫の知らせというのかな。1回撫でただけのワンコだけど、やっぱり寂しい。元々、かなりのご長寿でしたけど。でも、やっぱり寂しいのう。
 そんな私は、犬や猫が嫌いという人がいるということは認識してますが、アレルギーとかではなくて、普通に犬猫が嫌いっていう考えがどうやっても理解できない。別に否定するつもりはなくて、根本的に違うタイプの人間なんだ、って思ってるんですが、もっと不可解なのが、犬猫が好きじゃないのに飼うっていう人。そういう、訳のわからんことをする人間が、不幸な犬猫を増やす元凶のような気がしてるんですけどねぇ。