我が家の冷蔵庫

 うちの冷蔵庫は、常に一杯。そのくせ、母は食べ物が無いよ無いよ、と言う。母は免許が無いし、体力も相当落ちているので、買い物というとコンビニくらいしか行かない。しかし、そこで必要ないものをたくさん買ってくる。私はペットボトルのジュースは、ほとんど飲まない。母はミルクティーとかカフェオレとか好きで、飲んでいる。時々は炭酸も飲みたいらしくて、買ってきている。別に、好きな飲み物を買って飲むのは良い。問題は、消費量に対して供給が過剰だということだ。冷蔵庫の一番下の野菜室には、野菜じゃなくてペットボトルが詰め込まれている。もちろん、本来ペットボトルが収納されるドアポケット(っていうのか?)にもズラリと飲み物が並んでいる。
 私が、食べるラー油を買って料理などに使っていると、気を利かせたつもりで、次から次へと買ってくる。いくら何でもそんなに要らない。
 週末、買い物リストを渡されて、書かれた食材を買ってくる。しかし、最近の母は面倒がって料理をしない。食材はいつまでも食材のまま。私は今、ダイエット食(インスタントだけど)を食べるため夕食は不要と言ってある。余計に食材が使われる可能性は低い。時々すごく色の変わった肉とか出てきて、捨てている。
「どうして食べないものを買わせるの。アレもコレもムダにしたよね。」
「先週買ったお肉、冷凍庫にあるでしょ。何で同じものをまた買う必要があるの。しかも私は食べないって言ってあるよね。お母さんもお肉嫌いで食べないよね。なのに買うわけ?」
 親子だと、かなり感情的に相手を責める。冷たいようだが、母には
「将来ボケても寝たきりになっても、面倒はみられない。」
と言ってある。介護休暇の制度はあるが、期間は有限だ。そして私は独身なので、気楽な一方で自分の口は自分で養わなければならない。休暇を取っている間は無給なんだもの、そもそも休暇をとる自体が無理な話だ。いくばくかの貯金を使い果たしてしまったら、自分の老後が立ち行かなくなる。母は、漠然とではあるが、きっと私が面倒みてくれると思っていたらしい。それを否定されて、ショックを受けていた。可哀想だが、私の人生は母がいなくなった後も続く。そこを考えないほどバカなつもりはない。
 最近の私は、休みの日には、冷蔵庫で古びたものを少しずつ処分しつつ、使えそうなものでテキトウな料理を作る。以前は、土曜日は買出しについでに出来合いを買ってお昼ご飯にしていたが、寿司が食べたい一辺倒の母の分は買うとしても、自分は残り物のアレとコレで済ませるかーなんて考える。
 正月休みには、野菜室に詰め込まれたままのジュース類を一本一本取り出し、賞味期限が切れたものを処分した。私は冷蔵庫が一時的に一杯になったとしても、どんどん使ってスカスカになっている位が好きだ。が、母は、使う使わないはともかく、冷蔵庫が見た目に満杯になっているのが好きだ。きっと我が家の冷蔵庫は、母がいる間は今と同じ状態が続く。