親子

 親子の証明って何かな。実はテレビで”赤ちゃんの取り違え”について放送していたのを見たんですが。ちょうど夕食を食べながらだったので、母と色々と意見交換をば。
 DNA鑑定で親子関係が否定されたのは46歳だか47歳の男性で、今まで親子として生活してきたものを、DNA鑑定するというのは相当に何かがあったのだろうな、と思います。しかも、自分が生まれた時の産院は既に無く、資料もろくに無く、本当の親を見つけるのは極めて困難ということで・・・。
 彼のお父さんは、今更本当の息子に合わなくても良いと思っている、という感じでしたが、息子は産みの親に会いたいし、母親も自分が産んだ子供に会ってみたい、と。
 でも、46歳前後といえば、働き盛り。日本中、あるいは世界に飛んでいることだって考えられるではないですか。
 別にそれほどの遺恨があるわけではないですが、他に方法が無いということで、産院が都立だったことから東京都を相手に訴訟を起こして、じきに判決が出るようです。都知事の石原さんの言動から見て、東京都がある程度の責任を負うことになるのではないか、と勝手に思ったんですが(何しろDNA鑑定という強力な証拠があるわけだし、取り違え以外の原因で子供が入れ替わったことは考えにくい)。問題はその後です。本当の親子関係を求めて、一体どこまで行けるのだろう。
 私は母親とはあんまり似てないんですが、幸い(?)父親とは瓜二つって言われて育ったくらい似ているみたいです。本人にしてみると、そこまで似てるかなー、という感じなんですが。母親とはしゃべり方がすごく似ている、という程度ですが、これは一緒に暮らしてきたのだから、似て当然です。これで父親とも似てなかったら、私もDNA鑑定をしようと思うのかな。
 ふと、すっごく大きなお世話でありながら、この40代の男性は結婚してないのかな、ご自分の子供さんはいらっしゃらないのかな、と。テレビを途中から見たので、その辺のことは私には不明で・・・。自分のルーツってのは大事なことですが、親という幹から自分という芽が生えて、その幹から栄養を送ってもらって伸びて、自分がイッパシの幹になったときに自分からまた芽が生えてきたとしたら、自分という枝は実はヨソから継ぎ足されてきた枝なのか?ということより、今度は自分が新しい芽が育つように栄養を送り込んでやることの方が大事なのでは。
「自分という枝は、この木にくっつくべき木ではありませんでした。」
と離れようとしたら、周囲も傷つく・・・。
 この男性は、産みの親に会いたいとは言ってますが、その後のことはどう考えていらっしゃるのか。産みの親が判明したときは、彼らも本当の親子ではなかったということがわかってしまうということ。
 もし私の前に同じくらいの年齢の人が現われて、色々な証拠を元に(そのときには弁護士も立ち会ってそうだな)、
「あなたはこの家の子供じゃなかったんです。私が本当の娘で、あなたの本当の親はこちらの人です。」
なんて言われたら、その人のせいじゃないことにしてもすごく傷つくし、一旦は不幸のどん底に落ちそう。
「あなたが本当の親を知りたい気持ちはわからないでもないけど、そのために何も知らずに暮らしてきて、その暮らしがこれからも続くと信じていた私にまで十字架を背負わせたんですね。でも、あなたにそういう権利まであるんですか?」
と問い返してやりたい。
 でも、結局本人じゃないから、そういうことが言えるのかな、私は。