赤穂浪士

 今日は茶会に行って来ました。県の茶道会が主催するものなので、色々な流派が席持ちするのです。今回、裏千家は一席だけだったので、あとはお煎茶と、別の流派の席に入りました。
 何気に座った宗徧流では、ちょっと早いけれど義士がテーマになっていて、私でも分かりやすい趣向でした。それに、先生のお話がとても面白かった。が、説明を聞いていると、なんだかすごい軸や茶碗があって、恐ろしくなりました。大寄せの茶会の場合、ワンピースとかスーツで行ってしまう私は、気楽な位置に座ることを心がけています。が、たまたま座るタイミングで、3番目の席になったのです。そしたら、とても立派なお茶碗でお茶が出てきたので、
「うーむ、これはちょっといい茶碗のようだ。」
と思ったら、備前で、人間国宝がどうのこうの、という説明がされて、びびっちゃいました。飲む前に言われてたら、手が震えてたかも。
 赤穂浪士の討ち入りは、12月14日にされたこともあって、12月になるとどこかのテレビ局がかならず放映しますよね。話は知ってるのに、見ちゃうんだこれが。一方で、討ち入りした赤穂浪士たちについてはともかく、憎まれ役の吉良は、実は名君だったとかね、そのぶん浅野何某はアホだったかも、とかね、色々とありますよね。
 軸は、大高源五という人の歌でして、しかも本人直筆でした。
「山をぬく 力もおれて 松の雪」
辞世の句ではないんですが、討ち入り後に詠んだものと伝えられているものだそうです。源五さんは(馴れ馴れしい呼び方だな)、宗徧の元へ吉良の動向を知るために身分を偽って入門し、茶の湯を習っていたそうです。吉良が必ず家にいる日を探るためで、吉良邸で茶会があることを知って、討ち入りの日が決まったわけです。で、源五さんは、俳諧にも親しんでいたそうで、俳諧仲間の其角さんに
「年の瀬や 水の流れと 人の身は」
と上の句を投げかけられて、
「明日またるる その宝船」
と答えたことも有名ですね。これで、其角さんは
「討ち入りが明日なんだ…。」
と気づいたわけで、このあたりはドラマでも劇的に取り上げられる場面ですね。
 ていうか、この赤穂浪士討ち入りのストーリーは山場が一杯なんですよね。源五さんは、腹を切ったとき32歳。私とほぼ同じような年齢だったのね。私は、殿様のために腹を切るなんて出来ないし、そんなことはしなくて良いのです。よかった。