気になった記事

 朝、まったり新聞を読んでいて、気になった記事が二つありました。
 両方とも教育関連なんですけどね。子供いないくせに教育関連って。
 ひとつはね、電子辞書について。私も大人になってから買ったわ!英語の勉強頑張ろうって思ったわ!すぐに挫折したわ!でも、たまに役立ってますよ。紙の辞書より場所を取らなくて、しかもすぐに調べられて、便利です。決して安いものではないと思うけれど、あると便利。私が買ったのはカシオですが、液晶画面がちょっと暗いというか、調整しても映りがあまり良くないのが不満ですけど。
 私が電子辞書を買おうと店頭で物色していたとき、ちょうど中学か高校くらいの年齢の娘さんと、そのお父さんらしき人が、やはり電子辞書を吟味していて、お父さんらしき人は
「今すぐ買わなくてもいいんじゃないかな。」
みたいな態度で、対する娘さんは
「だって皆持ってるし!ほら、このタイプだと英語以外の勉強にも使えるんだよ!他の教科の参考書買うこと考えたら、これ一つで済むじゃない。」
と、買ってもらえるように交渉中。お嬢ちゃん、なかなか交渉上手だね。私は心の中で、
『買ったれ、買ったれ。お嬢ちゃんがやる気出してるんだから、そういう金はケチるんじゃない。その代わり、買ったけど使わないとか、そうなったらガツンと怒って電子辞書取り上げて中古ショップにでも売り飛ばしたらいいのよ。』
とエール(?)を送ってました。たぶん、そのときは、その親子も買わずに、もうちょっと機種を吟味しようみたいな話だったと思います。そして、私も色々な電子辞書を眺めながら、
「自分も高校生のときに、こんなの見たら、欲しくなっただろうな。」
って思いました。
 相変わらず話が長いですが、新聞の記事というか投書では、二人の親御さんが、その電子辞書というのは本当に必要か?ということを述べてまして、どちらも電子辞書を持たせることに否定的な考えのようでした。一方の方は、お子さんにねだられたけど普通の辞書を買い与えたところ、後日の授業参観で先生の指導が、電子辞書を持っていることを前提としたもので(カシオを持ってる人はこのボタンを押してー、みたいな感じ)、そんなに皆電子辞書を持っているのかと驚くと同時に普通に紙の辞書を手に手持ち無沙汰にしている自分の子供が不憫に思えて、結局電子辞書を買い与えた(あとでアルバイト代で返す約束)というもの。
 もう一方の親御さんも、電子辞書に懐疑的ではあるが、お子さんが
「皆持ってるし、あれば勉強に便利なのに、いつ買ってくれるの。」
と詰め寄ってきているが、本当にそれは必要なの?紙の辞書で時間をかけて調べるという手間をかけてこそ、勉強が身に付くものじゃないの?という内容でした。
 ここからは、私の全く個人的な意見です。紙の辞書を時間かけてペラペラめくって調べたからといって、そのまま身に付くというのは幻想です。勉強に手段は問わない。道具は便利なほうが良い。
 今になって思うのは、勉強には2種類あって、学問という意味での勉強と、受験戦争を勝ち抜くための勉強とに分けられるのではないかと。特に、今は受験のための勉強という意味合いが強いような気がします。本来は、例えば数学の公式で言うと、その公式の成り立ちを含めて理解するのが学問なんだけど、その成り立ちは覚えなくとも丸暗記して、こういう問題のときは、こうやって解くんだ、というパターンに当てはめる、いわば暗記式な勉強が受験のための勉強。本来の実力がつくのは、前者だと思うんですが、テストの問題をいかに早く正確に答えていくかを極めるなら後者が効率的。英語に関して言うなら、いかに英単語とその意味を覚えるか、さらには熟語とか、よくある英文パターンとか、とにかく覚えることが多い。そして、まとまった文章の意味を正確に捉えることと、ヒアリングでは英語を良く聞き取れることが大事になってくるわけで、辞書を引く手間は少ないほうが良いと思う。
 もう一つの気になった記事は、奨学金についてなんですが、以前書いた記事に対して
「片親の子供は私立に行くな。」
という意見があったことを嘆いていました。私も片親なのに私立に行きました。だから言わせていただく。でっけぇお世話だ。そもそも国立は落ちたんだ。確かに、父親亡き後にろくに収入がない母親に負担をかけたなぁ、という自覚はあります。でも、他人に口を挟まれたくないわ。それに、片親だって、すごく収入あるかもしれないじゃないか。というか、本人の実力があるのに、親の経済的な事情で進学を諦めるなんて、ものすごい損失じゃないですか。そのための奨学金じゃないですか。奨学金は、勉強できない人は借りられないはず。親が片親だろうが両親揃っていようが、遊ぶだけのために大学行ってる・・・というより、入学はしたものの授業にも出ずにアルバイトと遊びにあけくれている大学生こそ、どんどん退学処分にしてしまえ、って思います。