18年

 花梨のこと、14歳だと思ってましたが、まだ13歳でした。大丈夫か自分、しっかりしろ。花梨は平成8年生まれです。もうすぐ、もうすぐ14歳ね。2月でね。
 で、今朝、その花梨を連れて散歩していたときのこと。セーターを着せられて、モコモコの変な生き物となった花梨が、草むらをフガフガしていたとき、年配の女性に話しかけられました。平たく言うと、バアサマです。で、そのバアサマは犬が好きなのか、フラフラーと近寄ってきて、
「この子(花梨のことです)、人見知りしますか。」
「うーん、人見知りはしないと思うんですけど、散歩中は人間にも犬にも興味がないですね。」
 一体、花梨は自分のことを何だと思っているんだか知りたい。
「うちにも柴犬がいてねぇ・・・。18年生きたんだけど。」
「おお、それは長生きですね。大事に飼ってたんですね。」
「大事になんて!私、60歳で会社を辞めたときに、勝手に連れてこられてねぇ。絶対に飼わない、イヤだって言ったんですよ。」
「あれま・・・。」
「私、九州の長崎の出身なんですけどね、犬なんて飼ったら、里帰りも出来ないって言ったら、そういうときはウチが面倒みるからって言ってねぇ。でもね、結局一回も面倒なんて見てくれないですよ!」
「・・・そっ、それは約束が違いますね。」
「そうなんですよ!私一人で九州行ったら、5万円くらいで済んでいたのが、犬を預けると、犬だけで7万円とかかかりますでしょ。トリミングもするし。」
「(いや、柴犬だったら、トリミングまでしなくても、預けるだけでも良い様な気がする。)ははぁ、高いですねぇ。」
「私が脳梗塞で入院したときもですね、面倒見る人がいなくて。」
「ほうほう。(の、脳梗塞?犬の面倒見る人がいなくて、まさか餓死したとか言うんじゃないだろうな。)」
「帰ってきたら、地面にお腹がつくくらい太っちゃって。」
「あれまぁ。(誰だ、誰が面倒見てたんだその犬。)」
「最後はね、縁側に寝たきりになっちゃって。もう布団一枚ダメにしてもいいや、と思って、縁側に布団敷いてあげて。」
「ははぁ。」
 こんな調子で、私が気の抜けたような合いの手を入れる中、バアサマはツラツラと犬の思い出を語ったのでした。まぁなんだ、犬飼うのイヤだって言う割には、布団敷いて上げたりして、なんだかんだ可愛がってたんじゃないのかね。18年も一緒に居た犬が亡くなったことで、涙ぐんでました。
 どうも、話の様子だと同居している人が居ないみたいな感じなので、余計に今、寂しいのかもしれません。18年も生きたら、人間で言ったらギネスに載るかもしれんくらいの長寿で100歳超えてる気がしますが(犬種にもよりますが)、他人は
「それだけ生きたら十分だね、大往生だね。」
と思っても、飼い主の立場だと、どうしようもなく寂しいですね。失った穴は何をもってしても埋められない。
 花梨が入院した去年、生命が危険な状況に自分でも想像以上にダメージを受けた私は、未だにあのときのなんともいえないイヤな気持ちを引きずってます。ちょっとだけね。花梨が助かったというのに、変な話なんですが、一度受けた精神的なダメージって、状況が回復したからといって、同じように復元されるものでもないな、と身をもって知りました。